音楽アーティスト氷室京介が残した軌跡
日本には、様々な音楽アーティストが様々なジャンルの音楽をライブや音楽配信などを通じて、私たちに届けてくれていますが、これまでには、音楽業界を揺るがす様々な転機がありました。例えば、今ではアリーナクラスの会場も満員にできるほどの人気を誇る、ロック・ミュージックにしても35年前の日本では、商業ベースでは採算が取れないとして、歌謡曲に迎合しなければ、アルバム制作やライブ活動もままならない状況でした。
こういった状況を打破したのが、ボウイであり、後のロック・ボーカリストに多大な影響を与えた氷室京介です。もちろん、ボウイも最初から順風満帆だったわけではなく、デビューから2枚目までのアルバムは、サウンドも歌詞も全く異なり、同じバンドとは思えない程の試行錯誤を繰り返しています。3枚目のカッコ「ボウイ」が、当時では珍しくベルリン録音であったこともあり、一部も音楽マニアの間で話題となり、ようやく4枚目の「JAST A HERO」でブレイクしました。活動履歴は僅か7年ですが、ロック・ミュージックは歌謡曲に迎合しなくとも商業ベースで勝負できることを証明した初めてのロックバンドであることは間違いありません。
そこには、4人の個性が突出していたことはもちろんですが、氷室京介の「真似をしたくなるビジュアル」に負うところも大きく、マイクの持ち方やモニタースピーカーに足を乗せて歌うスタイルは、数多くのフォロワーを生み出したのです。
その後、30年以上の月日が流れ、 日本にロック・ミュージックが根付いてきましたが、氷室京介は2016年の東京ドームでのLAST GIGSを最後にライブ活動の無期限休止を発表しています。ボーカリストとして、これからさらに艶のある歌声を聴かせて欲しかっただけに、この発表は 氷室京介のファンだけでなく、多くの音楽ファンに衝撃を与えています。しかしながら、音楽アーティストとしての氷室京介が終焉を迎えた訳ではなく、レコーディングについては行うことを明言しており、その発表が待たれています。
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