同業者の音楽アーティストからも評価が高い佐野元春

佐野元春は1980年にデビューした日本の音楽アーティストです。大学生時代に当時「ポプコン」と呼ばれていたヤマハポピュラーソングコンテストに出場し、1回目2回目ともに関東代表に選出されるなど当初から才能を発揮、大学を卒業した翌年の1980年3月に「アンジェリーナ」でデビューを果たしました。曲制作に大村雅朗や伊藤銀次といった後にビッグネームとなる編曲家たちが参加したほか、英語を散りばめた独特の歌詞と、若者向けのポップス調サウンドで徐々にファンを獲得していきました。

佐野元春の名前は業界内でも話題となり、沢田研二のアルバム制作等、他の音楽アーティストとの繋がりも増え、1981年には「SOMEDAY」をリリースしましたが、リリース当初は特に話題になることはありませんでした。しかしナイアガラ・トライアングルで元はっぴいえんどの大瀧詠一とアルバム制作をともにすると再び勢いを取り戻し、1982年に発表したアルバム「SOMEDAY」がアルバムチャート最高4位となる大ヒットを記録したことで、シングル版「SOMEDAY」も注目を浴びることとなりました。その後もSOMEDAYは1990年にCMソングとして起用された際に再びヒットを記録したほか、多くの音楽アーティストによってカバーされるなど、時代を超えた名曲となっています。

1983年には約1年間渡米し、帰国後リリースしたアルバム「VISITORS」がアルバムチャート1位を記録、更にコンサートツアーの傍ら松田聖子の「ハートのイアリング」で作曲を担当するなど精力的に活動を続け、1985年2月にリリースしたシングル「Young Bloods」が自身の楽曲として初めてシングルチャートベスト10入りを果たし、シングル曲が商業的にも成功を収めるようになります。

1989年にリリースした「約束の橋」は、1992年にドラマの主題歌に採用されたことで再評価され、再発盤はスマッシュヒットを記録しました。その後も自主レーベルの設立やライブ活動など、安定した活動を続けています。