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音楽アーティストを目指す人に適した方法

音楽アーティストへの道は、昭和の時代に比べてそれほど遠いものではなくなってきています。最近はオーディションではなく動画配信で自分の音楽を投稿し、そこから人気が出るケースも増えていますし、スマートフォンやパソコンで音楽を聴く人が増えている影響から、ネット配信がきっかけでデビューできるケースも少なくないのが特徴です。インターネットで自分の音楽を配信することがきっかけで音楽アーティストとして活躍している人は多くいます。人気のパソコン用ソフトを使うと簡単に誰でも音楽を作ることが可能で、投稿サイトでは音楽作成用ソフトを使った投稿が相次いでいたり、人気のアーティストはCDを発売するほどにまでなっています。インターネットでなく従来通りの方法でも音楽アーティストの道を模索することは可能です。たとえば中学生の場合、進学先を芸能科のある高校にすることで音楽アーティストへの道が開けることも少なくありません。多くはありませんが、東京には芸能人がたくさん通っている高校がありますし、損の為には芸能事務所に所属する必要があります。芸能事務所に所属するためには、まずはデモテープと呼べばれる自分の作品を録音したものを事務所に送付し、それを聞いてもらって所属できるかの判断をしてもらう方法があります。最近は媒体がカセットテープではなくなっていますし、動画サイトを見た芸能関係者が個人をスカウトするというケースも増加中です。芸能関係者の目に留まればあっという間にデビューまでこぎつけることも不可能ではありません。そのため、パソコンやインターネットが苦手でも音楽アーティストを目指しているのであれば動画配信サイトへの投稿はチャンスの選択肢を増やすことになりますので、利用することをおすすめします。利用料は無料のところがほとんどですし、世界中の人に自分の音楽を聴いてもらうことができる絶好の機会ともなります。コストをかけずに有名になりたい方に最適です。

現代の日本の音楽アーティストの作る楽曲について

日本の音楽アーティストが作る曲と海外の音楽アーティストが作る曲との決定的な違いは、複雑さにあると私個人は思っています。今や日本の音楽シーンを彩る様々な日本人音楽アーティストの曲は非常に複雑で入り組んだ感じのものが多く、好きでなければ理解できないようなものが増えてきている現状です。一方、海外でランキング上位に入る楽曲というのは非常にシンプルな構成となっており、一度聴いたら忘れられないような、どの年代にも親しまれるようなコード進行やメロディがつけられています。これは歌詞に関しても言えることではないでしょうか。日本人の書く歌詞というのは非常に難解で、一度読んだり聞いたりしただけでは到底理解できません。歌詞がまるで一つの長編大作のようになっていて、何度も何度も聞くことでようやく理解できるようになっています。それに比べて海外の曲につけられた歌詞の単純なこと。言葉以上の意味はあまりなく、簡単に理解することができます。これはどちらが良いとかどちらの方が優れているということではなく、かなり日本人と外国人の作る楽曲に違いがあるということで、世界中に愛される曲を多く輩出している海外の音楽アーティストというのはこの部分をよくよく理解したうえであえてそのように作っているのではないかと、私は思うのです。かつて日本の歌謡曲には、この単純さやシンプルさがありました。だからこそ、家族みんながお茶の間に勢ぞろいして一つの音楽番組を見て、一緒に口ずさむというようなことができていたのでしょう。この時代の歌は海外の人たちにもとても愛されていて、今でも高い人気を集めています。今はより日本人らしく凝った感じの作りの音楽が増えてきたことで、それぞれに個性が強くなっているために、好きな人は好きだけど苦手な人は苦手かも知れないというようなものになっています。こうなるとそれぞれの楽曲を好んで聴く人というのは、それぞれの音楽アーティストのマニアのような位置付けになるのでしょう。何がいいとは一概に言えませんが、シンプルな楽曲がもう少し増えたらそれはそれで非常に楽しいし、日本の音楽シーンもさらに発展していくのではないかなと思います。

音楽アーティストのシグネチャーモデル

音楽アーティストが所有する楽器には、アーティスト本人同様に知名度の高いものがあります。特にエレキギターにはアーティストが実際に使用しているモデルと同等のシグネチャーモデルが多数存在し、ファンにとっては垂涎のマストアイテムとなっています。商品は高額ですが楽器としての完成度が高いこともあって、製造が間に合わない製品も多数あります。これらギターの数々は有名なビルダーが作成することもあり、ひとつひとつの個体に特徴があります。音楽アーティストは自分の体形や弾き方に合った楽器を製作してもらうために、必要な情報をすべてビルダーに与えています。自分の好きなアーティストのモデルとはいっても、それが購入した人の好みにあうかというとこれはまた別の話です。ギターを選ぶときには思想してみて音や弾き心地など、自分のスタイルにより近いものを選びます。アマチュアの多くの人が最初に自分の好きなアーティストが弾いている類似品を迷いもなく購入すると、ほとんどの確率で挫折につながります。演奏が上達するにはお手本が必要ですが、決して真似ることがあってはなりません。創作活動はオリジナリティの追求なので、人の作品からネタを探すようなことは避けるべきです。目標にしたりお手本となるアーティストは必要ですが、真似るのではなく解釈から自分の表現手法を見つけていく必要があります。上達するためには人並み以上の練習が必要で、さらに身に着けるテクニックは感情に直結していることが大切です。インスピレーションを得るためにはあらゆるジャンルの音楽を聴いて、たくさん練習することです。目指すものが見つかると自ずと自分に必要なスタイルのギターが見えてきます。音楽アーティストを目標にするということは、同じ楽器を使用して物真似をして満足を得ることではないのです。オリジナルなスタイルを模索することは決して楽なことではありませんが、その目標を達成した時には少しだけあこがれのアーティストのシグネチャーモデルを弾くことができる技術を身に着けているでしょう。

【BOOWY】偉大な音楽アーティスト

ボーカルは氷室京介、ギターは布袋寅泰、ベースは松井常松、ドラムは高橋まことの4名で活動していた伝説のロックバンドが「BOOWY」です。日本のロック界に多大な影響を与えたBOOWYは、わずか6年半という短い活動期間でしたが、今現在でも根強いファンを持つウルトラバンドであり、また現在活躍する多くの音楽アーティストにもインパクトを与えました。フォークソングが全盛の時代において、欧州のパンクミュージック要素を盛り込み、彼らが敬愛するデビット・ボウイの魅惑のメイクを取り入れ、日本の音楽シーンを変えたと言われています。彼らの登場により、日本ロック音楽界は「BOOWY以前、BOOWY以後」などと表現されるほどです。彼らが評価されたのは、音楽アーティストとしての本質であるメロディや歌詞、リズムといった音楽だけではありません。その引き際も後の世代に伝わるインパクトのあるものでした。シングルCDやアルバムがオリコンチャートで1位を取り、名実ともに頂点に立ったといえる正にその時に解散を発表したのです。解散理由については諸説ありますが、その1つは「頂点をとったら辞める、と最初から決めていた」というものです。解散コンサートとなった東京ドームでのLASTGIGSは、当時の電話回線がパンクするほどの反響となり、販売開始後すぐに売り切れとなりました。今でもそのラストコンサートは伝説となり、語り継がれています。しかし、彼らの伝説はまだ終わりではありませんでした。4人とも音楽を続け、日本の音楽シーンに確かな足跡を残してきたのです。特に氷室京介と布袋寅泰の活躍は目覚ましいものがありました。布袋寅泰は自らの音楽の他に、他者をプロデュースするという方面でも多彩な才能を見せました。氷室京介はストイックに音楽を追求し、BOOWYを解散したあともロック界の最高峰に君臨していました。しかし、それは彼が妥協を許さず、常に音楽を愛したからです。

音楽アーティストと有能な小室哲哉さんへの期待

音楽アーティストの大きなニュースと言ったら、音楽プロデューサーの小室哲哉さんの引退会見ですが、私個人の考えでは残念でしかないのが本音です。小室哲哉さんと言えば、今年で引退してしまう安室奈美恵さんや華原朋美さん及び篠原涼子さんの楽曲をプロデュースし、篠原涼子さんの恋しさとせつなさとに至ってはダブルミリオンを達成するなど1990年代を席巻しています。また、小室哲哉さん自身も音楽アーティストとしてTM NETWORKやH Jungle with T及びglobeなどのグループでの活躍していた経緯もあり、特にTM NETWORKはテレビアニメのシティーハンターに提供されたGET WILDやSTILL LOVE及びRUNNING TO HORIZONが30年近く経過した現在でもコアなファンに人気です。小室哲哉さんが音楽アーティストとして加入していたTM NETWORKには、小室哲哉さん以外にUTSUの愛称で親しまれている宇都宮隆と木根様の愛称で親しまれている木根尚登が参加しており、宇都宮隆さんと木根尚登さんは小学校から50年以上の付き合いとされています。小室哲哉さんは、ビブラートをほとんど駆使しないストレートな歌い方の宇都宮隆さんを伝説の人気バンドBOØWYのヴォーカリスト氷室京介さんと同一視している部分もあり、今なら3人が結集してTM NETWORKの再結成も出来る様な気もしますし、私個人の考えでは是非TM NETWORKを再始動して欲しいものです。小室哲哉さんは、1990年代にあれだけのヒット曲を飛ばしたのだから才能が無いはずが無く、賞味期限切れである訳が無く引退はもったい無い様に思います。ただ、宇都宮隆さんは浜崎あゆみさんのバックバンドの一員だった野村義男さんや子宮頸癌に打ち勝った小林香織さん等と第2期U_WAVEとして活動している事や木根尚登さんも朝ドラヒロインの交渉人真下正義に出演していた小山憲太郎や朝ドラヒロインの三倉茉奈が出演している音楽演劇ユニット劇団こどもみかんとしている事もあり、TM NETWORKの再結成は難しいのかとも思っている次第です。

音楽アーティストShake Keane

音楽アーティストShakeKeaneaは英国のジャズ・トランペット、Fluegelhorn奏者で詩人としても知られています。1927年5月30日にカリブ海東方のセント・ヴィンセントのキングスタウンで生まれ、1997年11月11日にノルウェイのオスロで亡くなりました。1959年から1965年まではジャマイカ出身のサックス奏者JoeHarriottの五重奏団のメンバーとして活動し、1951年からは英国に渡り音楽活動を行っております。音楽アーティストShakeKeaneaは彼が13歳の時に父親が死亡しましたが、その時まで父親にホーン楽器を教わり6歳の時には公開演奏会も開きました。14歳の頃には兄弟で結成されたバンドを率いて活動し始めていたとされ、当時母親は6人の子供を抱えながら働き、10代であった若者達は地元のオーケストラ・バンドに加わって活動していたようです。当時彼の関心事は音楽ではなく文学であったとされ、散文と詩への関心が強く英国の著名な文学者の名前をもじったあだ名も付けられ、その後名前にも引き継がれることになったようです。地元に居ながら当時2冊の詩集を出し、1952年には英国へ移住し、ラジオ局に勤務して詩の朗読を行ったり作家やミュージシャンにインタビューを行ったりしていたとされます。それと並行して街のナイトクラブでトランペットを吹き始め、ジャズを含む色々なスタイルで演奏活動を行いました。1959年から前に記したJoeHarriottのメンバーと共に6年間過ごし、フリージャズを演奏して即興の技で芸術的な成功を収めました。英国のジャズピアニストのMichaelGarrickとも共演し、詩とジャズを演奏しています。1966年にドイツにわたり、ジャズの楽団で知られるKurtEdelhagen楽団に入団してソリストとしても活躍しています。当時の映像は動画共有サイトでも見られ、その頃クラーク=ボーランのバンドにも加わっていたとされます。1972年にセント・ヴィンセントに戻り、1975年まで政府の文化部長を勤めることになり音楽活動を脇に置いて詩を書きました。1979年にはキューバの有名な文化機関から権威のある賞を受賞し、1980年代初頭にニューヨークに移り住み友人とも再会しています。髭の巨人の愛称でも知られLondonからもレコード盤が出されています。

目立たない音楽アーティストたちの名演

脇を固めるプレイヤーは音楽アーティストの中でも優れたテクニックを持っていて、誰からも信頼される人気があります。ベースやドラムといった一見目立つことのないポジションを担当しているミュージシャンは淡々とした印象を受けますが、ミュージシャンの個性で曲は様々な角度で方向転換します。ドラマーが変わるだけで曲の印象に違いが出るのは、ミュージシャン固有のリズム感や感覚が曲中でうまく作用しているといえます。ベーシストは時としてリードギターのようなプレイスタイルを持っている人もいますが、ベーシストの感覚としてのリズム感のよさは不可欠です。自己主張ばかりするプレイスタイルは楽器本来の演奏では評価されなくなり、極端に狭い範囲の中での活動を余儀なくされます。特殊な奏法は斬新ですが、新鮮さがいつまでも保てるわけではありあません。円熟味を増す前に単なるマジックや曲芸のように種がばれてしまえば面白さはなくなります。それでも道を究めれば頭角を現すことは可能ですが、誰にも受け入れられる音楽を目指すことは非常に難しいことです。音楽アーティストは長い年月をかけて自分のスタイルを作り上げて完成していきます。若ければ道のりも遠く時間もかかりますが、一瞬でゴールに到達する人も過去に何人かいました。みな若いうちにこの世を去っていますが、いまだに活動を続けているミュージシャンの中には何年もかけてその境地に到達する人もいます。成長した演奏スタイルはまた若さとは違った表現方法を身に着けていて、涙ぐむような感動を聴衆に与えることができます。かつて若かった人が年をとることは年月の経過を感じてしまいます。プレイヤーもいつまでも若いわけではありあませんし、聴衆も年をとります。その交互作用がミュージシャンの成長と聴衆も理解力が深まり、お互いの感動をさらに押し広げているのです。脇を固めるリズム隊の多くは人知れずにたくさんの名曲の中で埋もれずに生き続けています。

アニソン音楽アーティスト影山ヒロノブ

影山ヒロノブは日本だけでなく世界を舞台に活躍しているアニメシンガーです。1961年生まれで大阪府出身の影山ヒロノブは、高校時代に地元の仲間と結成したバンド「レイジー」のボーカルでメジャーデビューしました。元々はハードなロックバンド志向であったものの事務所の方針でアイドルバンドとしてデビューすることとなり本名ではなく愛称の「ミッシェル」という呼び名で活動していました。しかしメンバー全員がアイドルではなく音楽アーティストを目指していたバンドであったために約3年半でバンドは解散してしまいました。レイジー解散後はソロ歌手となり活動していましたが、ヒット曲には恵まれず厳しい音楽活動が続いていました。そんな中でレコード会社を移籍したのをきっかけに子供向けの戦隊シリーズの主題歌を担当し新境地を開拓していきました。その後はアニメ・特撮の主題歌を多く歌うようになり1989年に発売したアニメ「ドラゴンボールZ」の主題歌が大ヒットして一流の音楽アーティストの仲間入りをすることができました。その後は数々のアニソンを中心にヒット曲を出し、日本を代表するアニソン歌手である水木一郎や松本梨香らとともに作ったグループ「JAM Project」ではリーダーとして活躍しています。一方、「アコギな一人旅だぜ」と称するアコースティックギターのみでのライブを全国各地で毎年開催しており、アニソン歌手の遠藤正明と結成した「鋼鉄兄弟」では「鋼鉄1号」という名前で活動していました。また1998年には約17年ぶりにレイジーを再結成し、ラウドネスのメンバーである高崎晃や樋口宗孝らを含む全員オリジナルのメンバーで活動を再開しました。アニメソングは世界中でも注目されており、アジア圏はもちろんブラジルやアブダビなどでは熱狂的なアニメファンも多く、影山ヒロノブは日本だけでなく世界を舞台にライブ活動を行い活躍しています。「アニソン界のプリンス」とも呼ばれている影山ヒロノブですが、シンガーとしてだけでなく、作曲や編曲もこなす音楽アーティストです。まだまだ衰えを知らない影山ヒロノブの今後の活躍にも期待です。

日本から世界へ羽ばたく音楽アーティスト

ONE OK ROCKは、日本人男性4人組のロックバンドです。結成は2005年、リーダーのToruがボーカルとギターを兼任し、幼馴染のRyotaをベースに迎え、ドラムのYouとギターのAlexと共に始めました。現在のボーカルであるTakaはバンド結成の1か月後に加入しています。Toruが自分自身のボーカルに限界を感じており、新たにボーカルを探している中、知人を通してTakaと知り合い、彼の歌唱力の惚れ込んで自分のバンドに誘った話は、ファンの間では有名です。Takaは、日本を代表する演歌歌手、森進一と森昌子夫妻の長男で、両親から音楽の才能をしっかり受け継いでいました。Takaの才能は歌唱力に限らず、日本人としては珍しいほど英語の発音が優れている点も挙げられます。TakaはONE OK ROCKのほとんどの曲の歌詞を書いていますが、英語の歌詞が多く、その発音の正確さは欧米人がきちんと聴き取れるほどです。現在、欧米でのライブツアーを盛んに敢行しているONE OK ROCKですが、その成功の鍵は楽曲の素晴らしさや演奏、歌唱力のレベルの高さはもちろんですが、Takaの英語力によるところも大きいでしょう。Takaをボーカルとして迎え入れ、ロックバンド、音楽アーティストとして順風満帆な滑り出しと思えたバンドですが、その後、ドラムのYouが俳優業を目指すため脱退してしまいます。現在のドラム担当であるTomoyaが加入するまで、ONE OK ROCKのドラムはサポートメンバーが補うという事態に陥りました。やっとTomoyaという逸材と出会い、ドラムも落ち着きますが、その後、ギターのAlexが脱退しリードギターを失うことになります。メンバーが後に「バンドの最大の危機だった」と語るリードギターのAlexの脱退を受け入れ、新たな4人組ロックバンドとして活動を続けていく事を決めたONE OK ROCKは、その後地道なライブハウスでのライブ活動を経て徐々に人気を博し、今や若者に絶大な人気を誇るロックバンドへと成長しました。4人の絆が世界へはばたく音楽アーティストの道を切り拓いています。

エレファントカシマシを支える音楽アーティスト宮本浩次

エレファントカシマシがメジャー・デビュー30周年を迎え、ますます精力的に活動を繰り広げています。メンバーは宮本浩次(vo,g)、石森敏行(g)、高緑成治(b)、冨永義之(ds)の4人です。1981年に高校の同級生で結成されて以来、これまで一度もメンバー・チェンジを経験することなく、活動するエレファントカシマシは、後輩だけでなく先輩からも愛される、まさしく真の音楽アーティストです。しかしながら、結成から今日まで良いことばかりではなく、たくさんの苦労を重ねてきたからこそ、エレファントカシマシの楽曲には説得力があるのです。エレファントカシマシといえば、多くの楽曲を手掛ける、音楽アーティスト宮本浩次のカリスマ性が思い起こされます。宮本浩次の描く詞の世界はとても情熱的ですが、そこに登場する人物はどこか悲しみを背負いながらも、頑張って生きていく姿が印象的です。宮本浩次自身、エレファントカシマシを高校時代に結成するもメジャー・デビューまでに7年を要しており、また、デビュー後もヒットに恵まれず、デビューしてから約10年を経て「悲しみの果て」「今宵の月のように」といった楽曲がヒットした経緯があります。その間も決して腐ることなく、音楽に邁進していた姿こそが、宮本浩次の描く詞に出てくる登場人物なのです。2012年には宮本浩次が急性感音難聴を発症して、一時ライヴ活動を休止するなど、音楽アーティストとして心配なニュースもありましたがデビュー25周年となる2013年にはドキュメンタリー映画も公開され、1990年より開催されている日比谷野外音楽堂ライヴも継続中です。さらに2017年にはオールタイムベストアルバムを発表し。年末にはNHK『紅白歌合戦』に初出場するなど活動の幅を広げています。メンバー全員が50歳代となり、大人の熱いロックを聞かせてくれるロックバンドとして、エレファントカシマシの今後の活動にも注目が集まります。

目立たない音楽アーティストたちの名演

脇を固めるプレイヤーは音楽アーティストの中でも優れたテクニックを持っていて、誰からも信頼される人気があります。ベースやドラムといった一見目立つことのないポジションを担当しているミュージシャンは淡々とした印象を受けますが、ミュージシャンの個性で曲は様々な角度で方向転換します。ドラマーが変わるだけで曲の印象に違いが出るのは、ミュージシャン固有のリズム感や感覚が曲中でうまく作用しているといえます。ベーシストは時としてリードギターのようなプレイスタイルを持っている人もいますが、ベーシストの感覚としてのリズム感のよさは不可欠です。自己主張ばかりするプレイスタイルは楽器本来の演奏では評価されなくなり、極端に狭い範囲の中での活動を余儀なくされます。特殊な奏法は斬新ですが、新鮮さがいつまでも保てるわけではありあません。円熟味を増す前に単なるマジックや曲芸のように種がばれてしまえば面白さはなくなります。それでも道を究めれば頭角を現すことは可能ですが、誰にも受け入れられる音楽を目指すことは非常に難しいことです。音楽アーティストは長い年月をかけて自分のスタイルを作り上げて完成していきます。若ければ道のりも遠く時間もかかりますが、一瞬でゴールに到達する人も過去に何人かいました。みな若いうちにこの世を去っていますが、いまだに活動を続けているミュージシャンの中には何年もかけてその境地に到達する人もいます。成長した演奏スタイルはまた若さとは違った表現方法を身に着けていて、涙ぐむような感動を聴衆に与えることができます。かつて若かった人が年をとることは年月の経過を感じてしまいます。プレイヤーもいつまでも若いわけではありあませんし、聴衆も年をとります。その交互作用がミュージシャンの成長と聴衆も理解力が深まり、お互いの感動をさらに押し広げているのです。脇を固めるリズム隊の多くは人知れずにたくさんの名曲の中で埋もれずに生き続けています。

アニソン音楽アーティスト影山ヒロノブ

影山ヒロノブは日本だけでなく世界を舞台に活躍しているアニメシンガーです。1961年生まれで大阪府出身の影山ヒロノブは、高校時代に地元の仲間と結成したバンド「レイジー」のボーカルでメジャーデビューしました。元々はハードなロックバンド志向であったものの事務所の方針でアイドルバンドとしてデビューすることとなり本名ではなく愛称の「ミッシェル」という呼び名で活動していました。しかしメンバー全員がアイドルではなく音楽アーティストを目指していたバンドであったために約3年半でバンドは解散してしまいました。レイジー解散後はソロ歌手となり活動していましたが、ヒット曲には恵まれず厳しい音楽活動が続いていました。そんな中でレコード会社を移籍したのをきっかけに子供向けの戦隊シリーズの主題歌を担当し新境地を開拓していきました。その後はアニメ・特撮の主題歌を多く歌うようになり1989年に発売したアニメ「ドラゴンボールZ」の主題歌が大ヒットして一流の音楽アーティストの仲間入りをすることができました。その後は数々のアニソンを中心にヒット曲を出し、日本を代表するアニソン歌手である水木一郎や松本梨香らとともに作ったグループ「JAM Project」ではリーダーとして活躍しています。一方、「アコギな一人旅だぜ」と称するアコースティックギターのみでのライブを全国各地で毎年開催しており、アニソン歌手の遠藤正明と結成した「鋼鉄兄弟」では「鋼鉄1号」という名前で活動していました。また1998年には約17年ぶりにレイジーを再結成し、ラウドネスのメンバーである高崎晃や樋口宗孝らを含む全員オリジナルのメンバーで活動を再開しました。アニメソングは世界中でも注目されており、アジア圏はもちろんブラジルやアブダビなどでは熱狂的なアニメファンも多く、影山ヒロノブは日本だけでなく世界を舞台にライブ活動を行い活躍しています。「アニソン界のプリンス」とも呼ばれている影山ヒロノブですが、シンガーとしてだけでなく、作曲や編曲もこなす音楽アーティストです。まだまだ衰えを知らない影山ヒロノブの今後の活躍にも期待です。